のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online 人生は壮大な暇つぶし。こだわりを捨てて、軽やかに生きる。 Sun, 23 Oct 2022 03:45:57 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.5.3 のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online/2022/10/23/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9c%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%a5%e3%82%89%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%82%84%e3%81%99%e3%81%8f%e3%81%99%e3%82%8b%e6%96%b9%e6%b3%95/ https://bqpm.qipai.online/2022/10/23/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9c%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%81%a5%e3%82%89%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%82%84%e3%81%99%e3%81%8f%e3%81%99%e3%82%8b%e6%96%b9%e6%b3%95/#respond Sun, 23 Oct 2022 03:45:57 +0000 https://bqpm.qipai.online/?p=398
こんにちは、のりせんです。

皆さんは日々生活していて、なんか窮屈だなあって感じることってありませんか?

「まわりの皆に合わせて遠慮しているな」とか、「人の目が気になって自分が本当にやりたいと思っていることができてないな」とか感じていませんか?

のりせんは、東南アジアで数年間生活した経験があるのですが、特に倭国に帰ってきてから、倭国がすごく窮屈に感じています。

なぜか生きづらく感じているのです。

東南アジアでは感じなかった生きづらさというものが、倭国ではとてもひしひしと感じるのです。

そこで、この「生きづらい」ということが、東南アジアでは感じなかったのに、なぜ倭国では感じるのかを説明します。

倭国が「生きづらい」と感じる理由

倭国特有の過剰な「同調圧力」

これは、倭国に帰ってきてとても感じていたのですが、倭国は、周囲からすごく同じ行動をするよう求められているように感じます。

求められている、つまり圧力があります。

いわゆる「同調圧力」が強いということです。

最近の例でいえば、コロナウィルス感染防止としての「マスクの着用」です。

コロナが蔓延しだした当初の倭国は、マスクを外している人を見かけたら、その人が犯罪者でもあるかのようにすごいバッシングを受けていました。

なんで、マスクをしないのか?

周りに感染させたらどうするのか?

お年寄りに感染させて命に危険を及ぼすようなことになったらどうするのか?

無責任な行動をするな。

マスクをしていなかったというだけで、A級戦犯的な犯罪者扱いです。

「同調」とは、周囲の意見に合わせて自分の意見を変えてしまうこと。

この同調を利用して、少数意見を持つ人を暗黙のうちに抑えるということ。

自分の意見を、周囲の意見に合わせて変えてしまわなくてはならないことほど、生きづらいことはありません。

例えば、このマスク着用については、時と場合で、周囲に迷惑かけない状況であれば、外して過ごしても良いと思っています。感染しないという状況であれば。

つまり、物事の本質をよく考えて判断すべきということです。

倭国では、この同調圧力が必要以上に強いということです。

世間の常識(倭国の常識)の強要

倭国を離れ、東南アジアで生活して判ったのですが、倭国では「当たり前」と思われているものが、海外では「当たり前でない」ことのほうが多いということです。

一般的に、倭国では「常識」と思われていることが、海外では「常識ではない」のです。

これらの具体的な例を列挙してみます。

倭国で常識と思われているが、海外では常識でないこと

・レストランの店員は、みんな丁寧

・お客様は神様

・道路では歩いている人が優先

・水道の水が飲める

・時間通りに電車が来る

・列は割り込まないできちんと並ぶ

・映画館では静かにする

・周りに迷惑をかけない

・ごみは道路や床に捨てない、散らかさない

これらは、倭国では「当たり前、常識」だと思われていることだと思います。

ところが、倭国を一歩飛び出した海外では、これらが「全く当たり前ではない」のです。

つまり、海外から見ると、「倭国の常識は非常識」なのです。

だから、あまり、倭国の常識に縛られ過ぎて、この常識から外れないように、生活しようとすると、とても窮屈になるのです。

気にしすぎる周囲の目(恥の文化)

倭国は「恥の文化」と言われています。

普段の生活においても、「恥ずかしくない行動」をすることが求められています。

この「恥ずかしい」、「恥ずかしくない」というのは、「他人の目」が基準となっています。

つまり、「他人の目」から見ての判断が、その人の行動、特に倭国人の行動を決定するわけです。

倭国人は、「周囲からどう見られているか」をいつも気にしています。

そのことが原因で、極度に控えな感じになり、おとなしい感じになり、遠慮してしまうことになります。

要するに、他人の目を気にしすぎるあまり、「自分を抑える」ということです。

自分を必要以上に抑えてしまうと、窮屈になります。

ルール・規制の多さ

倭国は、ルールや規制が多すぎる傾向にあります。

ひとつ大きな事件や不祥事、不備が発生すると、これから、このことが再度発生しないように、ルールを決めることになります。

細かな基準値を設けてルールを決めます。

これをしてはいけないよ、この基準を守らないといけないよと。

倭国は、問題が起こったとき、それをよくするための「改善」がとても得意です。

海外では考えられないほど、改善活動が上手な国です。

問題が起こると、それが将来起こらないように細かな基準値を設けて規制します。

そうすると、してはいけないことがどんどん増えてきます。

どんどん増えてくると、守らなくてはいけないことが増えていって、行動が制限されます。

また、してはいけないことをしてしまうと罰則があります。

決められたことを違反すると罰則があるのです。

そうすると、自由に行動できることが減ってきます。

この自由度が減ってくると、窮屈になるのです。

排除される個性(皆一緒)

倭国は個性を尊重するような仕組みの構築が不十分です。未完成です。

そのことの顕著な例が「学校教育」です。

倭国の教育は、小学校から中学校の多感な時期に、皆同じ教科書で、同じ内容の学校教育を受けます。

これは、倭国の学校教育法で決まっている義務です。

勉強が得意な人も、得意でない人も同じ内容の教育を受けます。

勉強ができる人の中には、算数が得意な人も、絵を書くことが得意な人もいるのです。

でも、皆同じ教科書で、同じ内容の教育を受けるのです。

そもそも、人間というのは、皆同じではないのです。人間はバラバラなのです。

人間一人ひとりは、「考え」も、「得意なこと」も、「好きなこと」も、「嫌いなこと」も違うのです。

それが「個性」です。

倭国は、その個性を生かすような教育を実行する仕組みにはなっていません。

だから、違う個性を持っている人間が、皆と一緒の行動を強要されるような仕組みなので、とても窮屈に感じるのです。

間違ったことへの強烈なバッシング

倭国人は「正しいおこない、正しいこと」は、すぐに認めます。すごく美化します。

一方、「間違ったこと」に対しては極度に嫌います。嫌悪を示します。

特に、「間違ったこと」に対しては、徹底的にたたきます。

特にメディア、SNSが良い例です。

テレビのニュースでは、とても悪いことのような印象を持たせた構成で映像を流します。

週刊誌では、必ずその物事が悪いことのような印象を持たせる記事に仕上げます。

また、世間でいわゆる「間違ったこと」と判断されたことに対しては、強く謝罪を求めます。そして、必ず責任を負わされます。

それを映像して、記事としてニュースで世間に流します。これは悪いことだと。。

そうすると、世間は、こんな悪いことや、間違ったことは絶対してはいけないと思ってしまいます。

悪いことや間違ったことをしたら、あんなふうに誤って責任を負わされると思ってしまいます。

そうすると、生活がとても慎重になります。窮屈になってしまうのです。

さらに、一度、間違ったことしたり、謝罪をしたりすると、その後に、どんなに正しいことを行っても、過去の間違ったことを引っ張り出してきて、思い出させ「昔悪いことをした」とほじくり返します。

世間は、過去の過ちを決して許さないのです。

一度失敗すると、許してもらえないのです。

このことが自由に生きづらくしている理由です。

のりせんは、このようなメディアのニュースをなるべく見ないようにしています。

なぜならすごく不愉快になるからです。

気持ちが、なにか悪い方向に侵されるように感じるからです。

また、ニュースを見るときは、できるだけニュースで流れる「事実」と「解釈」を切り離すようにしています。

「事実」だけを見るようにしています。

そうして、自分を守るようにしています。

単純な判断

問題が起こったときには、それが正しいのか間違っているのか、また良いことなのか悪いことなのか、白なのか黒なのか、必ず判断を求める傾向にあります。

でも、あらゆる物事は、たった2つの両極で判断することはとても難しいと思っています。

むしろ、2つの両極の間であることのほうが多いのです。

白か黒かでいうと、「グレー」だということです。

その「グレー」も、白に近いグレーであったり、限りなく黒に近いグレーであったりと様々なのです。

物事は、複雑です。単純に、判断はできないのです。

それは、倭国を離れて海外で生活するとよくわかります。

倭国の常識が、間違っていることが多いのです。

求められる完璧さ

倭国人はまじめな民族です。

何事も曖昧にすることができません。

つまり、何事も100%の完璧を求める傾向があります。

「この程度で良しとしよう」と考えて、「半分ぐらいの出来で十分」といって、終わらないのです。

完璧なものを求めることは、とても、時間もお金もかかります。体力もいります。

だから、なぜか倭国人は疲れているのです。窮屈なのです。

行き過ぎた義務感

倭国人は、「決めたこと、決められたこと」は、「必ず守らなくてはならない」という考えの傾向が強すぎるようです。

政府が決めたことだから、会社が決めたことだから、学校が決めたことだからといって、決められたことを必ず守ることを強要します。

その決めたことの本来の目的を十分理解して強要するのであればいいのですが、決めたこと、決められたことが独り歩きして、「守ることが目的」となってしまう傾向にあります。

「決めたことは絶対守らなくてはならない」という義務感が非常に強くなる傾向にあります。

「そもそも・・・」と考えることがとても大切です。

しかし、そのことを十分考えないで、決めたことのみをクローズアップして、決めごとを守らない人を徹底的にバッシングします。窮屈です。

生きやすくするための方法

現代の倭国において、生活するのがなぜ生きにくいと感じるのか、窮屈だと感じるのかがわかっていただけたのではないでしょうか。

そうすると、倭国で生活している限り、日ごろ感じるその窮屈さは、解消されることはないのかと思うかもしれません。

でも、あきらめる必要はありません。

倭国で生活しながら、その窮屈さを少しでも解消できて、生きやすくする方法はあります。

決められたルールに疑問を持つ

倭国は、守らないといけないルールが多いのですが、そのルールがどのような目的で決められたのかをよく理解しておくことが大切です。

ルールだけが独り歩きして、「ルールを守ることが目的化」してしまうことがよくあります。

「常時マスク着用」、「4人より多くでの会食禁止」など、なぜこのようなルールに決めたのか、決めた背景・目的をよく考えることが必要です。

そして、その決められたルールに、「なぜなのか?」と疑問を持つことです。

常に、自分の頭でよく考えて、行動することです。

そうすると物事の本質がよくわかるようになって、やらされ感がなくなり、生きやすくなります。

周囲に合わせず自分の考えに従う

周りがやっているからという理由で、何も考えず、周りに合わせて行動すると窮屈になります。

周りは参考する程度にして、自分がどうなのかを常に考えることが大切です。

自分軸を持つということです。

そして、自分の考えに従い、行動することです。

そうすると、生きやすくなります。

自分のやりたいことを優先する


周りに合わせて、自分の気持ちを抑え込んで、周りと一緒の行動をすることが多くなると、生きづらくなります。

だから、自分の気持ちを抑え込まないことが大切です。

自分がこうしたい、ああしたいという気持ちを優先することが大切です。

自分の欲求を素直に見つめて、自分のしたい、やりたいことを素直に実行することで、生きやすくなります。

深刻にならずゆるく考える

やはり、倭国人はまじめです。

毎日をストイックに、苦労しながら生活することがとても美しいことと思っています。

生きるのはとても大変なことだと思っています。

努力しないと食べていけないと思っています。

将来のことをとても心配しています。

でも、現在の倭国で、食べていけなくなることはないのです。

どう生活しても、生きていけるのです。

だから、何事もゆるく考えて今を生きることです。

深刻にならないことです。

東南アジアでは、今を楽しむことをとても大切にします。

そして、みんな楽しそうに生きています。

だから、今を楽しむこと、あまり心配しすぎないこと、ゆるく考えることが大切です。

まとめ

倭国はなぜ生きづらいのか、そして、生きづらい倭国での生活を少しでも生きやすくする方法を説明しました。

要するに、

・自分の頭でよく考えて

・周りに合わせず

・自分で判断して

・自分の気持ちに素直に生きていくこと

そうすれば、必ず倭国でも生きやすくなってくるでしょう。

日々の生活を気持ちよく過ごせるように。   それでは。

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のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online/2022/10/02/%e3%81%9f%e3%81%be%e3%81%ab%e3%81%af%e6%b5%81%e3%82%8c%e3%82%8b%e9%a2%a8%e3%81%ab%e8%ba%ab%e3%82%92%e3%81%be%e3%81%8b%e3%81%9b%e3%81%a6%e3%80%81%e3%81%95%e3%81%99%e3%82%89%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%97/ https://bqpm.qipai.online/2022/10/02/%e3%81%9f%e3%81%be%e3%81%ab%e3%81%af%e6%b5%81%e3%82%8c%e3%82%8b%e9%a2%a8%e3%81%ab%e8%ba%ab%e3%82%92%e3%81%be%e3%81%8b%e3%81%9b%e3%81%a6%e3%80%81%e3%81%95%e3%81%99%e3%82%89%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%97/#respond Sat, 01 Oct 2022 22:52:59 +0000 https://bqpm.qipai.online/?p=388

こんにちは、のりせんです。

最近、奥田民生さんの「さすらい」という曲がどはまりしていまして、繰り返し繰り返し聞いております。

奥田民生さんは、元ユニコーンのボーカリストです。

この「さすらい」という曲は、ユニコーン解散後にソロになって1998年に発表した曲です。

そして、なんといってもこの曲は、歌詞がとてもいいのです。

流れる風にまかせて

 「さすらい」の曲の中で、特にこのフレーズがとても大好きで心にぐっと刺さってます。

「風の先の終わりを見ていたらこうなった、雲の形を真に受けてしまった」

奥田民生「さすらい」

これはまさに、「ケセラセラ」の精神。

禅でいうところの「白雲自在」

なんのこだわりもなく、雲のように風の流れにまかせて、人生というものをさすらう。

そう、なんかしらんけど、こだわらず自然の流れに身を任せてその時その時を自由に生きていったら流れ着いた先はこうなった、自分がこんなことになった、それもまた、それでいい、ということ。

だから、変に先のことをこだわって心配して動かないよりも、何も執着せず、まず動いてみればいいということ。

さすらいづらい世の中

また、次のフレーズもとても好きで、よく口ずさみます。

「周りはさすらわぬ人ばっか 少し気になった」

奥田民生「さすらい」

そう、なぜか動こうとしていない人が多いのが、目につきます。

心の中ではこうしたいと思っているのに、また、本当はできるのに、なぜやろうとしないのでしょうか?

おそらく、次のことが足枷になっているのではないでしょうか?

・周りの目を気にしすぎていること

・頭で考えすぎていること

・心の欲求を抑えすぎていること

本当は子供のように、心のおもむくまま、自由に動けばいいのでしょうが、経験を積み、情報に洗脳されて、こうあるべきだと刷り込まれて生きてきた結果、身動きが取れなくなってしまったのです。

そうすると、自分の人生を生きている感じが薄れてしまいます。

そして、それが、倭国人は幸せそうな顔をして生きていないといわれていることに繋がります。

本来、人が生きるということは、自由なはずです。

どこへでも行けるはずです。

でも、実際は行くことができていない。

行こうとしない。

生きにくい世の中。

幸せを感じにくい世の中。

でも、そんな世の中でも、心は、自由です。

世の中がいくら規制や規則でがんじがらめになっても、自分の心は自由なのです。

そして、その自由に思い描いた心のおもむくままに、すこしずつ動けばいいのです。

少しずつ。

そう少しさすらうのです。

そうしてさすらうことが、「なんだ簡単なことだ」とわかることが大切です。

あまり考えてすぎて、心配しすぎて動きを止めないことです。

深刻にならずに、もっと、気楽に考えればいいのです。

雲のように。

最後に、奥田民生さんの「さすらい」のフレーズ。

「さすらいもしないでこのまましなねえぞ」

奥田民生「さすらい」

のりせんもさすらいます。それでは。

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のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online/2022/08/14/%e3%83%aa%e3%82%a2%e5%85%85%e3%81%aa%e6%af%8e%e6%97%a5%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%82%e3%80%82/ https://bqpm.qipai.online/2022/08/14/%e3%83%aa%e3%82%a2%e5%85%85%e3%81%aa%e6%af%8e%e6%97%a5%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%82%e3%80%82/#respond Sun, 14 Aug 2022 04:06:42 +0000 https://bqpm.qipai.online/?p=373 リア充な毎日を送りたいですか?

「リア充」という言葉は、リアル(現実)の生活が充実している人を指すネットスラングだそうです。


リア充とは、

「リアル(現実)の生活が充実している人」

SNSでは、リア充ぶりをアピールする投稿が多いです。


こんなところに旅行にいったとか、こんなおいしいものを食べたとか。

加工した写真をアップして、どれだけ充実した時を過ごしているか。


アピール合戦ですね。



ところで、充実ってなんでしょうか?


充実とは、「中に隙間なくいっぱいに満ちていること、内容が十分備わって豊かなこと」です。



充実とは、

「中に隙間なくいっぱいに満ちていること、内容が十分備わって豊かなこと」



ここで、少し考えてしまいました。


現実って、充実していないといけなかったでしょうか?

人生って、充実していないといけなかったでしょうか?

また、充実の内容って、すべての人間で、共通の内容なのでしょうか?




充実の中身は、人それぞれだと思っています。

その人にとって、充実していると感じたなら、それがその人にとっての充実でしょう。

たとえ、それが他人からすると、大したことではなかったとしてもです。


充実は、かなり主観的なもの。


ところが、現在のSNS上では、リアルが充実していると考えられている内容がなぜか共有化されていて、それがあたかも正解のようにみんな同じ内容の投稿になってます。

例えば、SNS上でのリア充の正解は、旅と料理。

なぜか、みんな旅と料理の投稿ばかりなのです。


リア充=旅+料理



なので、みんなリア充を追い求めて、旅行やおいしいものを食べに出かけたりするのです。


のりせんは、旅+料理がリア充とは思えません。

また、リアルが充実していようがしていまいがどうでもいいと思っています。

自分が気持ちよく、穏やかに過ごせているか、これを意識しながら毎日を過ごしています。


要するに、充実した時間を過ごすことよりも、穏やかに気持ちよく過ごすことが一番だと思っています。


自分の気持ちが心地いいと感じているかどうかです。

これは、他人からはわからないことです。

強い主観の世界です。

なので、のりせんは、他人の投稿、特にきらきらした投稿は見ないようにしています。



人は人、自分は自分。

それでは。

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https://bqpm.qipai.online/2022/08/14/%e3%83%aa%e3%82%a2%e5%85%85%e3%81%aa%e6%af%8e%e6%97%a5%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%82%e3%80%82/feed/ 0
のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online/2022/08/14/%e3%80%8c%e4%bc%91%e3%82%80%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%a8%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%ab%e3%81%8b%e3%80%8d%e3%82%92%e5%bf%98%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93%e3%81%8b%ef%bc%9f%ef%bc%8f/ https://bqpm.qipai.online/2022/08/14/%e3%80%8c%e4%bc%91%e3%82%80%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%a8%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%ab%e3%81%8b%e3%80%8d%e3%82%92%e5%bf%98%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93%e3%81%8b%ef%bc%9f%ef%bc%8f/#respond Sun, 14 Aug 2022 01:26:01 +0000 https://bqpm.qipai.online/?p=352 こんにちは、のりせんです。

サラリーマンをしているのりせんは、11日の木曜日から、15日の月曜日まで、5日間休むことにしました。
ゆる盆休みです。

2022年は、木曜日が山の日で祝日、月曜日がお盆で休み。

金曜日を休めば、5日間も休みがとれることになります。

ということで、金曜日を休んで、連休にしました。


さて、連休に入る前は、どうやってこの長い休みをすごそうかと考えてました。

でも、休みが長いからといって、特別にしたいことが思い浮かぶわけではありません。


世間、特にテレビやニュースでは、長い盆休みにはどこも人出が多いことを強調して発信されています。

高速道路の渋滞が何キロだとか、新幹線の乗車率が何パーセントだとか。

こんな情報を眺めていると、折角、長い休みだから、皆もどこかいっているのだから、「何かしなくてはいけない」、「どこかに行かなくてはいけない」と、考えてしまいます。

気持ちがあせってしまいます。

なにもしないことが、もったいないように感じてしまいます。

世間のみんなも、長い休みを満喫していて、自分は何もしていないのは損した気分になります。

そうして、わざわざ人出の多い行楽地に旅行にいったり、テーマパークに遊びにいったりします。

そして、ただただ、疲れて帰ってきます。

なんで、皆は周りがしていることに合わせようとするのでしょうか?

なんで、皆がやっていることをやろうとするのでしょうか?

自分が本当にそうしたいのでしょうか?

長い休みには、何かをしないといけないのでしょうか?

逆に、そんなことに時間を使うことのほうが無駄ではないでしょうか?




皆、「休むことって何か」を忘れているように感じます。

「休」という漢字は、「木のしたで人がやすんでいる」と書きます。

「休む」ことは、体を休めることです。

木陰で、穏やかに過ごすことです。

何も、どこかに出かけることではないのです。

休みの日に何をしたかを人に言う必要もありません。

自分が「休んだ」と感じたら、それが休みなのです。

人と話をしていて、休みの日に何かしたことを話さないといけないとおもっていませんか?

そんなこと、話をする必要もないのです。

特別なことをする必要もないのです。


のりせんは、この長い盆休みは、いろいろ考えることに時間を使おうと思いました。

頭の中で考えたいこと、整理したいことに時間を使おうと思いました。

自分ひとりで、いろんな思いにふけりながら、あれこれ想像することに時間を使おうと思いました。


人生は壮大な暇つぶしです。

何に時間を使おうと自分がよいと思えばよいのです。

それでは。

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https://bqpm.qipai.online/2022/08/14/%e3%80%8c%e4%bc%91%e3%82%80%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%a8%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%ab%e3%81%8b%e3%80%8d%e3%82%92%e5%bf%98%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93%e3%81%8b%ef%bc%9f%ef%bc%8f/feed/ 0
のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online/2022/08/12/%e7%9a%86%e3%81%95%e3%82%93%e3%80%81%e4%ba%ba%e7%94%9f%e3%81%ae%e6%88%90%e5%8a%9f%e8%80%85%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%e3%81%a7%e3%81%99%e3%81%8b%ef%bc%9f/ https://bqpm.qipai.online/2022/08/12/%e7%9a%86%e3%81%95%e3%82%93%e3%80%81%e4%ba%ba%e7%94%9f%e3%81%ae%e6%88%90%e5%8a%9f%e8%80%85%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%e3%81%a7%e3%81%99%e3%81%8b%ef%bc%9f/#respond Fri, 12 Aug 2022 05:24:12 +0000 https://bqpm.qipai.online/?p=314 こんにちは、のりせんです。

皆さんは、人生の成功者になりたいと思っていますか?

それはそうですよね。誰もが、失敗者となるよりは、成功者になりたいと思ってますよね。

では、成功者とはいったいどんな人のことをいうのでしょうか?

成功者のイメージはどんなものでしょうか?

世間でよく言われている成功者のイメージは次のようなものだと思います。

世間の成功者のイメージ

・大きな家、高級車を持っている。

・家には、すごくいっぱいの服や靴がクローゼットにびっしり詰め込まれている。

・毎日、高級料理を食べている。

・リゾートでゆったりお酒を飲みながらくつろいでいる。

・いつも豪華なパーティーを開いている。

これらは、映画やテレビでよく見かける成功者の典型的なイメージですね。

セレブというやつです。

こうやって並べてみると、世間でよく言われる成功者とは、「経済的に豊かな人」、「お金を持っている人」というイメージであることがよくわかります。

つまり、お金をいっぱい持っていて、贅沢な暮らしをしている人のことを、世間では「成功者」と呼んでいるということです。

次に、辞書では、成功者は、どう定義づけられているかを調べてみました。

辞書による「成功者」の定義

・目標を達成した人

・多くは事業などで成功して地位や富を得た人

辞書による定義は、なんとなくビジネス側にかたよった感じがします。

人生の成功者というよりは、ビジネスで成功した人といった意味合いが強い定義です。

ですので、のりせんが考えている人生の成功者について話します。

人生の成功者

毎日が幸せある

悩みもなく、幸せな気分で毎日を過ごせることは、お金を持っている、持っていないにかかわらず、間違いなく、人生における成功者です。

また、幸せであるということは、毎日をいつも笑って過ごしているとか、友達がたくさんいて、にぎやかに過ごしている、ということではないと思っています。

毎日を、笑って過ごしていなくても、にぎやかに過ごしていなくても、自分が、「幸せだ」と、「幸せな日々を過ごしている」と感じていれば、その人は、成功者なのです。

自分がやりたいこと、好きなことで過ごしている

毎日の時間を、自分が本当に心から好きなことで過ごしている人は確実に成功者です。

自分がやりたくないことで、気持ちも乗らず、無理やりすることほど時間の無駄遣いはないのです。

時間には限りがあります。

なので、自分が嫌いなことに使う時間はないのです。

自分の時間は、自分の好きなことのために使うべきなのです。

居心地のいい場所で好きなものに囲まれて過ごしている

これも、自分がいかに幸せに毎日を過ごせているかということです。

環境はとても大切です。

心から心地いいと思えることが大切です。

気持ちがいつも安らか

気持ちがいつもせかせかして、落ち着きがない状態の人は成功者とはいえないでしょう。

いくら、お金を持っていても、毎日、時間に追われて忙しく過ごしている人は、心休まることはなく、幸せを感じることもできません。

心が幸せを感じることができなければ、その人は成功者とはいえないでしょう。

なので、大切なことは、いかに毎日を、心穏やかに、安らかに過ごしていけるかというなのです。

まとめ

本当の人生の成功者とは

・毎日が幸せである

・自分がやりたいこと、好きなことで過ごしている

・居心地のいい場所で好きなものに囲まれて過ごしている

・気持ちがいつも安らか

つまり、成功者とは経済的に豊かになって贅沢をして暮らす人のことではないのです。

自分が、心穏やかに、幸せと感じる毎日をいかに過ごせているか、この心から幸せと感じる毎日を過ごせている人が成功者です。

つまりは、誰もが人生の成功者になれるということです。

自分が、自分の人生を、成功だと思えたとしたら、その人が成功者なのです。

それでは、また。

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のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online/2022/07/10/%e8%a6%8b%e6%a0%84%e3%82%92%e5%bc%b5%e3%82%8a%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%8b%e3%81%84/ https://bqpm.qipai.online/2022/07/10/%e8%a6%8b%e6%a0%84%e3%82%92%e5%bc%b5%e3%82%8a%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%8b%e3%81%84/#respond Sun, 10 Jul 2022 04:58:14 +0000 https://bqpm.qipai.online/?p=301 こんにちは、のりせんです。

のりせんは、なるべく「自然体で生きていく」ことをモットーとしてます。

ですが、倭国には、見栄っ張りの人が多いように思います。

「見栄っ張り」

言い換えれば、「虚栄心」が強い。

「虚栄心」を辞書で引くと、

「虚栄心」

うわべだけを飾ろうとする心。自分を実質以上によく見せようとする心。

虚栄心の強い人は、人の目を気にしすぎるように思います。

人からどう見られているかが一番の関心事のようです。

だから、流行の服はすぐにでも欲しい、車は新車が欲しい、IphoneはNewModelが欲しいなどなど。

つまりは、人に自慢したり、人より有利に立ちたいなどなど、他人の目、他人の評価を気にしすぎて、その結果、自分の見た目を自分のレベル以上に見せようとする見栄が強いのです。

これに、何の意味があるのか?

基本、他人は、自分のことなど、自分が思っているほど、気にしていないのです。

倭国という国は特に、他人の目や評価をあまりにも気にしすぎではないかと。

自分を着飾って、化粧して、よく見せて、それになんの意味があるのでしょうか?

多分、疲れるだけです。

よく見せても、所詮、遠くの宇宙から眺めれば、大したレベルの差ではないのです。

ちょっとぐらい、高価なものを持っても、それは、その程度のレベルの話です。

自分をよく見せようとすることのなんと不毛なことかは、この歳になるとよくわかります。

すぐにばれます。

仕事でもそうです。

会議で立派なことを発言しようとしても、所詮は付け焼刃です。

そんなのは、聞けばすぐにばれてしまいます。

知ったかぶりもすぐにばれてしまいます。

見栄を張ることに、何の意味もないのです。

なので、肩の力を抜いて、自然体で、生きましょう。

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普段、みなさんは、テレビやSNSで、ニュースを見すぎていませんか?

ニュースは、見ている人の興味を引くため、できるだけ刺激の多い「悪い出来事」を流す傾向があるように思います。

「良い出来事」は、ニュースとして人の興味をあまり引かないわけですから、悪いニュースを流すのです。

だから、刺激の強い、悪いニュースを朝から晩まで流していきます。

そんなニュースを繰り返し見ていると、当然気持ちがとげとげしく、すさんでくるのがわかります。

当たり前です。

事故のニュースや犯罪のニュースなど、普段の日常にはあまり影響がないのに、毎日、毎朝インプットされていると、気分が落ち込みます。

だから、必要のないニュースは見ないほうがいいのです。

特に、気持ちに悪影響を与えるような悪いニュースは見ないほうがいいのです。

のりせんも、テレビは見ません。

SNSのニュースもほとんど見ません。

自分とあまり関わりがないもの、自分がどうしようもないもの、そういうものの情報はなるべく遮断するようにしています。

自分が対処できないものに、気持ちを動かしてあれこれ考えてもどうしようもないのです。

悪いニュースを見て、どうなの、こうなのと気持ちを動かして、動揺して、そんなのには意味がないのです。

穏やかに、日々を過ごすためには、ニュース断ちがお勧めです。

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のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online/2022/07/10/%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0%e6%9b%b8%e3%81%8f%e3%81%93%e3%81%a8%e3%82%92%e9%9b%a3%e3%81%97%e3%81%8f%e8%80%83%e3%81%88%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93%e3%81%8b%ef%bc%9f/ https://bqpm.qipai.online/2022/07/10/%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0%e6%9b%b8%e3%81%8f%e3%81%93%e3%81%a8%e3%82%92%e9%9b%a3%e3%81%97%e3%81%8f%e8%80%83%e3%81%88%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93%e3%81%8b%ef%bc%9f/#respond Sun, 10 Jul 2022 02:48:39 +0000 https://bqpm.qipai.online/?p=278 こんにちは、のりせんです。

最近、ブログを書き始めたんですが、書くことってすごく難しいなと感じています。

ブログを書いている人の中にはこんな悩みを持っている人はいませんか?

悩み

1.記事の内容がまとまらない。

2.ブログの記事を公開するのに、いろいろ考え過ぎてすごく時間がかかる。

3.ブログを書いたあと、内容を読むと反省ばかり。

4.ブログを書き始めたはいいけど、なんだか書くモチベーションが長続きしない。

5.心の中がいつももやもやしている。


そんな時、Kindleでとても良い本を見つけました。

いしかわゆきさん「書く習慣」です。

この本はとても読みやすいだけでなく、読んだ後、「すぐにでもなにか書きたい!!」と、気持ちが前向きになれました。

読んだ後の悩み解決

1.書くことのハードルをすごく下げることができる。

2.すぐにでも何か書きたくなる。

3.書く習慣が長続きする。

4.もやもやした気持ちがすごく楽になる。


それでは、のりせんがとても共感した内容と感想をお伝えしますね。

人生なんて「書く」だけで変わる

のりせんがブログをはじめようと思ったきっかけは、日々感じている心のもやもやをなんとか解消できないかなと思ったからです。

心のもやもやしたことを、言葉にして目に見える形に吐き出すことができればすっきりするんじゃないかなと思ったからです。

現在フリーランスのライターとして活躍されているゆきさんも、心のもやもやが生まれたことをきっかけとして、日常をつづり続けてきたことが今の仕事にも繋がっているそうです。

「書く」ことは最高のひとり遊びでもあり、良き相談相手でもあり、口で言わなくても自分の気持ちを相手に届けてくれる最高のツール


のりせんも、書くことは、一人でできる最高の遊びだと感じてます。

自分の気持ちを素直に言葉にして、思考して、また言葉にして綴っていく。

一人でできるこんな素敵な時間の使い方はとても贅沢に感じます。

誰でも、なんでも、書いていい


今の時代、SNSが発達して誰でも書いたものを発信することができるようになりました。

書くことがすごく身近になったのです。

でも、のりせんは、他の人が発信した文章を読むと、とてもすごく説得力のある内容のものが多くて、自分と比べると、稚拙で薄っぺらな内容が目について発信するのに躊躇してしまいます。

もっと、良い文章を発信しないといけないなといろいろ考えて、躊躇してしまいます。

文才がなくても誰かに伝わりさえすればいい。才能がないからできないと嘆いているあいだはなにもできないということ。大事なのは、才能の有無にとらわれず、とにかく書きつづけること。文章の正解は自分で決める。


ゆきさんのこの言葉にすごく気持ちが楽になりました。

文章に正解はなく、自分で決めればいい。

何も学校のテストではないのです。

思うがまま、自由に書けばいいのです。

へたくそでも、なんでもいいのです。

「自分はアホだ!」と思えばアウトプットできる


ゆきさんは、毎日、自分が思ったことや感じたことを書き残しているそうです。

それは、人は覚えたことのほとんどを忘れてしまうし、頭から抜けてしまうから、それを忘れないようにするために書き続けているそうです。

つまり、自分はアホだと素直に認めること。

アホだから、覚えたことや、その時感じたことを言葉にする。

そして、そのままを発信する。

アホになる。

すごくよくわかります。

自分のアホさを認めると、すごく素直になれます。

うわべだけを飾ろうとする虚栄心まみれの気持ちは捨てて、素直にアホになります。

「完璧主義」を捨てて、どんな形でもいいから終わらせる

文章を書いた後、書いたものを見返すと、いろいろ修正を加えたくなったり、細かいところにこだわったりしたくなります。

そうすると、なかなか一つの記事を完成させることができなくなります。

のりせんも、細かいところが気になって、時間をかけすぎていました。だからなかなか記事を更新できずにいました。

忘れないでほしい。わたしたちは完璧主義者。おわりなき旅路をうっかり歩んでしまう者たちです。「読後感のよい終わらせかたはなんだろう・・・」とぐるぐる悩んで、半年間も文章を寝かせるよりは、無理やりにでも終わらせて新しい旅路を歩みましょう。


そうです。

完璧主義者になっていたのです。

少しぐらい、あいまいなまま終わらせてもいいのです。

完璧な文章などないのです。

終わらせること、それが大事!

意味がない文章に意味づけするのはあなたじゃない


のりせんは、ブログを書き始めて、「こんな文章なんか、役に立つのかな」とか、「意味あるのかな」とか時々ふと、感じることがあります。

でも、ゆきさんはこう言っています。

「すべての物事に意味なんてなくない・・・?」

そうです。

本来、人は、生活したり、仕事したり、遊んだり、、、いろいろ物事をしてますが、それには何の意味もないんです。

ただただ、目の前のことに取り組んでいるだけなのです。

ただ、ブログを書いていることに取り組んでいるだけなのです。

書きたいのであれば、書けばいいのです。

そこに、意味があるかどうかは、読んだ人が判断すればいいのです。

だから、書くことに意味があるかどうかなんて悩む必要はないのです。

ありふれた日常をネタとして書く


ブログを書こうとすると、ネタに困ることがありますね。

何を書いたらいいんだろうって。

平凡なありふれた日常に、ドラマチックなネタがそれほどあるわけないから、書くことがない!って思いますよね。

すごく悩みます。

ゆきさんは、「ありふれた日常は、じつはネタの宝庫」と言っています。

あなたの「日常」は、他人には「非日常」かも。「ありふれた日常」と決めつけているのは、自分自身。


すごく救われる言葉です。

「つまらない自分の日常を書いても、意味ないね」って、決めつけているのは、自分であって、もしかしたら、他の人からしたら、それはとても意味あるものかもしれません。

だから、「つまらない意味がないと、勝手に自分で決めつけないことです。

好きなように、好きなものを書いていけばいいのです。

自分の人生をコンテンツ化していけばいいのです。

感情が動いたら、それをコンテンツ化したらいいのです。

中学生でも伝わるレベルの文章を書く


文章を書く時、難しい言葉を使いたくなることがあります。

何か、かっこいい言葉とか、横文字とかを使いたくなります。

でも、ゆきさんは、こう言っています。

むしろ多くの人に確実に「伝わる」文章とは、簡単な言葉で書かれた文章


みんなに伝わる文章とは、簡単な言葉を使って書いたものです。

簡単な言葉でないとみんなに理解してもらえないということはすごくわかります。

頭の中にスッと入ってくる文章は、とてもシンプルです。

複雑ではないのです。

かみ砕く、簡単な倭国語に置き換える、この作業が大切です。

まとめ


ゆきさんのこの本を読んで、書くことに対して、すごく気持ちが楽になりました。

自分の考えていることを書くこと、自分の好きなことを書くこと、それは、自分を改めて見つめ直すことにつながることがよくわかりました。

他人の正解に振り回されがちなこの世の中では、自分のことがわかってくると、自分の生きやすいように環境を整えるのがうまくなって、すごく生きやすくなる。


書くことは、自分のことをより理解できるようになることだと言っています。

書くことは、自分と会話しながら文章に表現することだから、それを繰り返すことで、自分というものがよりはっきりとわかってくるのです。

自分のことを書くのだから、なにも基準やこうやらなくてはならないとかいうものはないのです。

なにも気にしなくていい、とても自由な世界


もっと、もっと、書いていこう、そんな気持ちにさせてくれるとても素敵な本でした。

皆さんもぜひ一度読んでみてくださいね。

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のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online/2022/07/09/%e5%88%ba%e6%bf%80%e7%9a%84%e3%81%aa%e6%97%a5%e5%b8%b8%e3%82%92%e8%bf%bd%e3%81%84%e3%81%8b%e3%81%91%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93%e3%81%8b%ef%bc%9f/ https://bqpm.qipai.online/2022/07/09/%e5%88%ba%e6%bf%80%e7%9a%84%e3%81%aa%e6%97%a5%e5%b8%b8%e3%82%92%e8%bf%bd%e3%81%84%e3%81%8b%e3%81%91%e3%81%99%e3%81%8e%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93%e3%81%8b%ef%bc%9f/#respond Sat, 09 Jul 2022 05:11:19 +0000 https://bqpm.qipai.online/?p=265 こんにちは、のりせんです。

昨日、とても衝撃的で悲しい出来事がありました。

安倍元首相が襲われました。

突然の出来事です。

のりせんは仕事中で、そのニュースは知らなかったのですが、同僚から「安倍さんが襲われた」と聞き、すぐニュースを確認しました。

そのニュースでは、参院選の応援演説で訪れた奈良県のとある駅前で、演説を開始してすぐ、後ろから襲われたとのことです。

犯人は、すぐ取り押さえられました。これから、いろいろ詳細は調べられていくものと思われます。

このニュースを聞いて、のりせんが感じたことは、

「平和な日常が何よりも幸せなのだな」ということです。

何の変哲もない、繰り返される毎日がいかに幸せなことか。。

普段、意識せず退屈な日々を過ごしていても、そのような生活はある意味、奇跡的なことかもしれません。

朝起きて、会社へ行って、仕事して、帰って、ハイボールを飲みながら、ごはんを食べ、眠くなったら、寝る。

そんな平凡な生活が本当は幸せなのかもしれません。

いつ突然、そんな平凡な生活が崩れることになるかもしれません。

ぐちゃぐちゃになるかもしれません。

そうなったとき、その当時を振り返ったとき、平凡な生活がとても幸せであったことが思い出されるのかもです。

昨晩、寝ていた夜中2:00に、突然、携帯で、「大雨による土砂災害警報」が鳴り響きました。

最初、警報が鳴ったとき、携帯を見なかったので、「大きな地震か?」と飛び起き、揺れを感じるかどうか、どきどきしながら身構えていました。

でも、そのまま揺れがなかったので、携帯を見ると、「大雨警報」で、少し安心しました。

その時思ったことは、いつ何時、こんな平凡な生活が崩れさるかもしれない、という恐怖に似た不安感でした。

昨晩の、アラームの鳴り響いた後の身構えた時間の中で、感じた不安感。

少しの間でしたが、覚悟してました。

でも、それから何もなかったので、少し安心して眠りにつきました。

その朝、起きてから感じたことですが、

「平凡な平和な日常を過ごすことがなによりなのかな」ということです。

毎日退屈な日々を過ごしていると、もっと楽しいことをしたいなとか、ドラマチックなことがおきないかなとか思ったりしませんか?

でも、そんなこと、起きなくてもいいのです。

毎日、食べ物が食べられて、寝ることができれば、それだけで十分なのです。

日々、生きていければそれで十分なのです。

今、目の前の物事に取り組めればいいのです。

今、目の前の仕事なり、家事なり、生活なりに真摯に取り組めればいいのです。

今を生きていく。

平凡に生きていく。

それが大切だと感じた昨日の出来事でした。

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のりせんろぐ https://bqpm.qipai.online/2022/06/26/%e9%a0%91%e5%bc%b5%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e6%84%8f%e5%91%b3%e3%81%8c%e3%82%8f%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%a8%e3%81%8d%e3%81%ae%e8%a7%a3%e6%b1%ba/ https://bqpm.qipai.online/2022/06/26/%e9%a0%91%e5%bc%b5%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e6%84%8f%e5%91%b3%e3%81%8c%e3%82%8f%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%a8%e3%81%8d%e3%81%ae%e8%a7%a3%e6%b1%ba/#respond Sun, 26 Jun 2022 03:05:42 +0000 https://bqpm.qipai.online/?p=211 こんにちは、のりせんです。

皆さんは、日々の生活の中で、仕事や勉強、家事など一生懸命に頑張っていますでしょうか?


学生なら、親から「勉強をがんばりなさい」と言われるでしょう。
会社員なら、上司から「頑張って成果を出してください」と言われるでしょう。

でも、頑張っているとき、ふと、こんな悩みを持ったことはないでしょうか?

悩み

・毎日必死に頑張っているけど、自分は何のために頑張っているんだろう?

・毎日我慢して努力して、何を目指しているんだろう?

・毎日くたくたになるまで働いて、どこに向かっているのだろう?

・ひたすら頑張れば、必ず報われるというけれど、いつになったら報われるのだろう?

・頑張れば幸せになれるというけれど、いつになったら幸せになれるのだろう?

頑張りすぎていると、よく頭の中で考えてしまうと思います。

このようなもやもやした気持ちを抱えたまま生活していると、疲れてきませんか?

こんな時、読むことですごく気持ちの整理がついて、もやもやを無くすことができる本を紹介します。

韓国のイラストレーターのハ・ワンさんが書かれた

「あやうく一生懸命生きるところだった」です。

題名がおもしろいですよね。

本の題名が印象的で、すぐ手にとってしまいました。

この本は、題名のとおり、日々頑張っている人が、ちょっと立ち止まって、頑張る意味を見つめ直すことができます。

そして、読んだあとは、とても気持ちがすっきりとします。

読んだ後の気持ち

・生きることが楽しくなる

・肩の力が抜けて、気持ちが楽になる

・他人にやさしくなれる

・穏やかに生きられる

それでは、いってみましょう。

見返りを求めない

私たちは、毎日なにかしら一生懸命に頑張っています。

でも、何のために頑張っているのでしょうか?

全力で何をめざしているのでしょうか?

現在の社会は、間違いなく競争社会です。

そして、知らず知らずのうちに、私たちはこのレースに参加させられています。

レースには勝ち負けが必ずあります。

頑張った結果、ひとつのレースには勝つことができるかもしれません。

でも、ふと上を見ると、さらに高いレベルのレースがあることがわかります。

そして、これまでよりさらにひとランクもふたランクも高いレベルの過酷なレースに参加することになります。

今まで以上に頑張らないと、そのレースには勝つことができません。

ですので、いつまでたっても、現状に満足することができません。

ところで気になるのは、それが何のレースだったのか、まったく見当がつかないことだ。

誰が一番お金を稼ぐでしょうか大会?

誰が一番最初に家を買うでしょうか大会?

誰が一番出世するでしょうか大会?

なぜ、がんばるのか?

一つの大きい要因は、子供の頃からの精神論の刷り込みです。

精神論の刷り込み

・頑張れば、勝てる。

・努力すれば、報われる。

このような精神論を繰り返し言われ続ければ、何のために頑張らないといけないのかを、深く考えないまま、毎日を必死になって過ごしてしまうのです。

そして、頑張れば必ず、報われる・幸せになれると信じてしまうのです。

自分がこんなにも努力したのだから、必ずこれくらいの見返りがあるべきだという思考こそが苦悩のはじまり。

そうなのです。努力してがんばったとしても、必ず見返りがあるわけではないのです。

当然、見返りがあるときもあります。

でも、人生、見返りが無いことのほうが多いのです。

だから、頑張ることの見返りを強く求めすぎないほうがいいのです。

人生マニュアルを捨てる

倭国には、世間が考える「幸せな人生のためのマニュアル」っていうのがありますよね。

世間が考える「人生マニュアル」

・いい大学に入る。

・大手の会社に就職する。

・結婚する。

・子供を産む。

・家を建てる。

・定年まで勤める。

・年金で老後をゆっくり過ごす。

でも、これって、本当に幸せな人生なのでしょうか?

違う人生は、幸せになれないのでしょうか?

さらに、幸せになるといわれる「人生マニュアル」を外れた人生を送ったら、なぜ、世間の目は冷たいのでしょうか?

「まだ、結婚しないの?」とか、

「若いうちに家を建てたほうがいいよ」とか、よく言う人がいますよね。

自分の人生なのに、自分の気持ちなのに、どうして他人の評価によって大丈夫だったり大丈夫じゃなかったりするんだろう?

これは、一種の目に見えない暴力です。

みんなが正しいと信じる価値観に同意しない者への暴力

自分がこうしたいという気持ちに蓋をして、他人の評価や世間がすすめる幸せのモデルケースにならって、従うようなことほど、不幸なことはないでしょう。

自分の人生です。

一番大切なことは、自分がどうしたいかです

執着を捨てる

頑張っている人は、一つのことに、とことん執着します。

あきらめずに、ひたすら突き進みます。

一つのことに集中して取り組むことは、ある程度はいいことです。

でも、執着しすぎると、視野が狭くなって、他のことが目に入らなくなってしまいます。

「このことしか進むべき道はない」と、こだわりすぎて、まわりが見えなくなります。

広い視野で全体を見るということが、できなくなります。

そして、その信じた道で挫折すると、その先は悲劇です。

心がやられます。

「絶対あきらめるな」という言葉ほど、残酷な言葉なない。

世の中にはたくさんの道が存在する。ひとつの道にこだわりすぎるのは、ほかの道をあきらめているのと同じ。

ひとつの道に執着せず、あるタイミングであきらめることも大切です。

失敗を認めることも大切です。

あきらめた先には、また新たに、違う道が現れるからです。

正解を求めない

毎日頑張っていると、

この選択は正解なのかな?

この方向にいったら、大変なことになるかな?

とか、不安になることがありますよね。

他人からも、「いい大学にいくべき」とか、「いい会社に入るべき」とか、「そうしないと幸せになれない」とか根拠のないアドバイスをされることがありますよね。

世間が信じているのは、「正解社会」です。

現在の社会が求めているのは、「結果として何が正解なのか」というものです。

世間は一般常識をベースに正解、間違いを仕分けています。

そして、正解を選択しない限り、後ろ指をさされる。

生きにくい世の中です。

でも、人生は人それぞれです。

人ひとりひとり、それぞれの生き方があるのです。

他人の言うことや世間が信じていることが正解ではないのです。

ただ、参考にすればいいのです。

正しい選択をしたつもりが、後々考えるとそうでもなかった、ということもあれば、選択を誤ったと思っていたのに、後から良い結果につながることもある。そう、結果は誰にもわからないものだ。

人生のすべてをコントロールしようと考えてはいけない。だって、そもそも不可能なのだから。

人生に、正解も間違いもないのです。

深刻に生きない

どうしても、ひとつのことに執着したり、他人からアドバイスを受けた選択をして、頑張っていると、「この先、幸せになるだろうか?」「この道は正しいのだろうか?」と悩んでしまいます。

眉間にしわをつくって、いつも一生懸命頑張って、悩んで、生きていく。

でも、いつもそれが幸せに繋がる階段を登っているとは限らないのです。

結局、人生というものには正解はないのです。

だから、楽しむことです。楽しめばいいのです。

答えを探すことだけに集中し、問題を解く楽しさを忘れてはないだろうか

人生は、ひとつのジョークです。

普段、人生を複雑に考えすぎていないでしょうか?

そんなに複雑でしょうか?

食べていければ、それでいいのではないでしょうか?

食べていく手段は自分で選択できるのではないでしょうか?

深刻に考えることはないのです。

自分がやりたいことをやる

大人になってみると、自分の気持ちを抑えて、自分がやりたいことを我慢したりしませんか?

「もっと遊びたいのに、貯金しないといけないから、我慢しよう」とか。

「仕事を休みたいのに、まわりに迷惑をかけるから休みを取るのをやめよう」とか。

でも、もっと思いのままに、やりたいことがあればやればいいのです。

まずは当たって砕けろだ。失敗したときは後悔すればよし

人の意見に左右されないことが大切です。

「ゴールデンウィークはどこか出かけないともったいない」とか。

「あの映画おもしろかったよ。まだ見てないの、みんな見てるのに」とか。

「ネットでランキング1位の店だから、行ってみないといけない」とか。

まわりの意見や評価を気にしすぎて、本当は自分はこうしたいのにと思っていても、人が薦めることをやることが現在社会では多いかもです。

何をやるにも、世間の目を気にしすぎることが問題です。

世間の目は無視しても何の問題もありません。

そして、やりたいことで失敗しても、何の問題もありません。

別に、失敗してもいいじゃないですか?

失敗したら、また、やればいいのです。なにも難しいことではないです。

自分の気持ちを大切に、今、自分がしたいことをするだけです。

他人のペースに合わせない

現在は、SNSが旺盛で、SNSを通じて、他の人の人生を簡単に知ることができます。

そして、まわりがみんなやりたいことを見つけて、どんどん先に進んでいる姿を眺めていると、自分が遅れをとっていて、不安になります。

自分だけ、取り残されたように感じます。

不安になり、気持ちが焦ってしまいます。

人はそれぞれ、その人なりの速度を持っている。自分の速度を捨てて他人と合わせようとするから、つらくなる

むりして合わせようとせず自分のペースに忠実になるだけでも、他人とはまったく違う生き方になる。それが個性

他人より遅れていたとしても、「それがどうした!」と叫べばいいのです。

遅れていても、そのついでに、ゆっくり進めばいいのです。人生は長くなったのです。

自分のペースで進めばいいのです。

まとめ

何のために一生懸命頑張っているのか、わからなくなった時、この本は気持ちを本当に楽にしてくれます。

頑張っている意味がわからなくなったとき、以下のことで気持ちの整理がつくでしょう。

頑張る意味がわからなくなった時考えること

・見返りを求めない

・人生マニュアルを捨てる

・執着を捨てる

・正解を求めない

・深刻に生きない

・自分がやりたいことをやる

・他人のペースに合わせない

この本は、今回紹介した内容以外にも、楽に生きていけそうなエピソードがたくさん紹介されています。

ぜひ手にとって読んでみてくださいね。

最後に、いつものりせんが仕事やプライベートで行き詰ったとき、口ずさむ言葉があります。

「人生、ケ・セラ・セラ~♪」

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